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ヘッジレイイング軍隊を止めた垣根 二千年変わらない生垣のつくり方

  • 執筆者の写真: 飯島 一郎
    飯島 一郎
  • 9 時間前
  • 読了時間: 6分

紀元前57年の夏。いまのベルギー北部で、ローマ軍が止まりました。


前方にあるのは城壁ではありません。土手でもない。垣根です。


枝と枝が絡み合って、隙間がない。人も馬も通れない。剣を抜いても、振りかぶる場所がない。


このとき指揮していたのがユリウス・カエサルで、その垣根のことを自分で書き残しています。ガリア戦記の中に、その記述があります。


現地の人々は、若い木を切り倒して横へ寝かせ、その枝を互いに編み込んでいた。そこから新しい枝が伸びて、隙間を埋めていた。


生きた壁です。


軍隊を止める垣根が、二千年以上前にすでにあった。

そして、その作り方は、いまもほとんど変わっていません。


冬の畑の境に組み上がったヘッジレイイングの生垣。斜めに倒した幹と杭が編まれている

倒す。けれど、殺さない


英国とアイルランドに、ヘッジレイイングという技があります。



National Hedgelaying Society


一列に並んだ木の幹を、地面の近くで途中まで切る。折らずに、横へ倒す。それだけです。


倒した幹は根とつながったまま生き続け、株元から新しい芽を出します。数年でその芽が絡み合い、家畜が通れない壁になる。


切るのではなく、倒す。抜くのではなく、寝かせる。


倒した幹を、プリーチャーと呼びます。


この技の全部が、ここにある


幹の片側を削いで、細くしてから倒します。


このとき、樹皮と、そのすぐ内側の白い部分を、根とつながったまま残さなければいけません。


幹の根元に刃を入れ、皮一枚でつないだまま倒したところ

皮一枚でつないだまま倒す。切り離してしまえば、それはただの伐採になる。


切りすぎれば、枯れる。切らなければ、曲がらない。


どこで刃を止めるか。


数字はありません。木の太さ、樹種、その日の水の含み具合で変わります。刃を入れながら、手が抵抗の変わり目を拾う。


英国の職人は、これを知っていることが技のはじまりだと言います。


私たちが太い枝を下ろすとき、受け口をどこまで入れるか迷う、あの一瞬に近い。教わっても分からず、何本もやって、ようやく手が覚える種類のものです。


冬のあいだにしかやらない


作業は9月から3月のあいだだけです。木が眠っているあいだ。芽が動き出したら、翌年の秋まで待ちます。


生垣の前に立って、まずどちらへ倒すかを決めます。家畜のいる側か、道や畑の側か。ここで決めた向きを、端から端まで通す。途中で気が変わると、生垣が崩れます。


邪魔な小枝を落とします。全部は落としません。あとで幹のあいだに編み込むぶんを残しておく。


幹の片側に刃を入れます。生垣の進む方向に沿って、斜めに。伝統的にはビルフックという鉈のような道具と斧。いまは太い幹にチェンソーを使う人もいます。


削いだ幹を、両手で押し倒します。水平に近い角度まで。


倒したあとに残る切り株を整えます。ここから一番強い新芽が出るので、この処理が10年後を決めます。

倒した幹の列に沿って、等間隔に杭を打つ。仕上がった生垣の強さは、この杭が受け持ちます。

最後に、ハシバミの若枝を杭の頭に編みつける。編み終えたら、杭の頭を全部同じ高さ、同じ角度で切り揃えます。


この最後の編み込みは、飾りではありません。杭と幹を上から押さえて、全体を締める役目があります。


ただし英国には競技会があって、そこではこの編み目の美しさが採点されます。

強さと美しさが、同じ手つきから出てくる。


牛か、羊か、風か


面白いのは、地域ごとに形が違うことです。しかも違う理由が、はっきりしている。


イングランド中部のレスターシャーやノーサンプトンシャーは、牛の産地です。ここの様式は、別名を雄牛式といいます。


杭は道や畑の側に立てる。小枝は牛の側に出す。


牛が株元の新芽を食べてしまわないためです。生垣そのものを、牛のほうへ傾けて組みます。


そして縛りは、生垣の頂点より低い位置に入れる。理由は、牛が角でひねり取るからです。

一頭の獣の癖に合わせて、垣根の形が決まっている。


デヴォンへ行くと、景色が変わります。


あの地方の道が谷のように深く見えるのは、両側に高い土手があるからです。石を張った土手の上に、生垣が載っている。


デヴォンではヘッジレイイングをスティーピング、倒した幹をスティーパーと呼びます。二又の枝を土手の中心に打ち込んで、それで幹を押さえる。仕上げに、崩れた土を上へ積み直して土手の高さを保ちます。


なぜ土手なのか。


18世紀の囲い込みで、それぞれが自分の境界に溝を掘り、掘った土を自分の側に積み上げたからです。


掘って積む。その重労働の跡が、いまも道の形になって残っている。


ワイト島の様式は、ほとんど残っていません。


見た目は雑です。倒した幹を、向きを交互にしながら上へ重ねていくだけ。小枝もあまり落とさない。曲がったハシバミの杭で押さえて終わり。


けれど家畜を留める力は確かで、しかも速い。

廃れた理由は、競技会に向かないからでした。


美しく組めない技は、競う場を持てない。競う場がなければ、教える人がいなくなる。いまは荒れた生垣を立て直すときにだけ使われています。


そして現代、高速道路式という形が生まれました。


編み込みをしません。畑側に金属の柵を立てるので、家畜を留める力も要りません。杭さえ省くことがあり、小枝はほとんど落とし、幹を短く切って低く倒すだけ。

必要が減れば、形も減る。


九つあった様式は、そうやって一つずつ意味を失ってきました。


古い株元から新しい幹が何本も立ち上がっている。倒された木は死なずに更新する

8年から15年


倒した幹は、いずれ枯れます。それは最初から分かっていることです。

けれどその頃には、株元から新しい幹が地面から伸びている。


かかる年数が、8年から15年。


一度の作業が、次の作業まで10年前後もつ。庭の手入れは毎年です。10年に一度でよい仕事というものが、私にはうまく想像できません。


その間ずっと、垣根は少しずつ形を変えながら立っている。


日本には、なぜないのか


英国には、この技を教える制度があります。全国ヘッジレイイング協会が、林業と農業の技能を認証する機関と組んで、資格を出している。ブロンズ、シルバー、ゴールドの三段階。最上位は5日間の講習と1日の試験です。


技が人から人へ渡る道筋が、制度として用意されている。


いっぽう日本の生垣は、刈るものです。倒す技を、私は聞いたことがありません。

なぜ日本で育たなかったのか。牛や羊を野に放つ農業ではなかったからか。木の種類が違うからか。土地の区切り方が違ったからか。


調べた範囲では、答えが見つかりませんでした。


ただ、日本の山には萌芽更新があります。


コナラやクヌギを根元から伐ると、株から新しい芽が何本も立ち上がる。それを繰り返して、何十年も同じ株を使い続ける。


倒した幹を残すか残さないかは違いますが、株元から次を出させるという一点は同じです。

海の向こうで垣根の技になり、日本では山の技になった。

そこから先は、まだ追えていません。


生垣が古くなって、下がすかすかになる。上ばかり伸びて、足元が透ける。

そういうとき、上から刈り込んでも戻らないことがあります。株元から新しい幹を出させないと、下は埋まらない。


英国で垣根を倒している人たちが知っていたのは、たぶんそれだけのことです。


剪定屋空では、三重県北勢地域を中心に、庭木の剪定から生垣の手入れ、樹木の伐採まで承っております。



 
 
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