top of page

世界の庭から考える。庭のよくある問題

  • 執筆者の写真: 飯島 一郎
    飯島 一郎
  • 6月1日
  • 読了時間: 4分

庭の仕事をしていると、「お隣の木の枝が越境して困っている」という相談を受けることがある。そのたびに思う。木は、境界線を知らない。


世界に目を向けると、この「枝の越境」という問題は、それぞれの文化が「自然とどう向き合うか」「他者とどう共存するか」を映し出す鏡だとわかる。


英国では2012年から2018年の6年間で、庭をめぐるトラブルが自治体に2万件近く報告された。英国人の65%が「隣の庭に迷惑している」と回答し、31%が隣人と庭について口論をしたことがあるという。これは日本だけの問題ではない。


庭は所有権と共同生活が衝突する境界線 — 英国65%・31%・20,000件のデータ

境界線一本で、同じ木の枝が「私の財産」にも「侵入物」にもなる


日本では2023年4月に民法第233条が改正された。


それまでは、隣地の枝が越境していても、越境された側が自力で切ることは原則禁止されていた。木の所有者に切除を求め、応じなければ裁判で勝訴判決を得てから代替執行するしかなかった。


この手間の大きさから、多くの人が泣き寝入りするか、黙って刈って人間関係を壊すかのどちらかだった。


改正後は「催告後に切除されない」「所有者が不明またはその所在が不明」「急迫の事情がある」の三条件のいずれかを満たせば、越境された側が自ら枝を切除できるようになった。背景には空き家の増加と所有者不明土地問題という現代的な課題がある。


英国には「Abatement(自力排除権)」というコモンロー上の権利があり、越境した枝は境界線に沿って切り落とすことができる。


ただし切り取った枝は隣人の財産のままで、果実がついていれば返却しなければならない。「枝を切ってよい、でも実は返せ」財産権の論理を突き詰めた英国らしい結論だ。


米国カリフォルニア州では越境した枝への「絶対的権利(Absolute Right)」として、損害の証明なしに自由に切除できる。一方、地中を這う根の切除には「合理性基準」が適用され、実際の損害がある場合のみ認められる。


ドイツでは連邦通常裁判所が「ルールを守って適切に管理している樹木による落葉は、共同生活上の受忍義務の範囲」と判示。フランスでは自分で切る権利はなく、所有者に「要求する」権利だけが認められている。


越境樹木の解剖学 — 米国・ドイツ・フランスの法律比較

庭の哲学—高い壁か、ルールか、それとも「間(ま)」か


なぜこれほど国によって答えが違うのか。


その背景には、各文化が「庭は誰のものか」「境界線とは何か」について持つ根本的な価値観の違いがある。


フランスの郊外では、敷地を高い石壁で完全に囲う。「Intimité(親密性)」を極端に重んじる文化の表れで、「自分の庭の中で起きていることは誰のビジネスでもない」という意思表示だ。


ドイツのフェンスは「Ordnung(秩序)」の記号で、ルールを守った者は自然現象の副次的影響も受忍せよという考えと一致している。米国の郊外は前庭をオープンに開きながらも、所有権への執着は強固で、境界を越えれば強力な訴訟の対象となる。


対照的に日本の庭は、「間(Ma)」と「借景(Shakkei)」という独自の哲学を持つ。「間」は単なる「何もない空間」ではない。要素と要素を結びつけ、意味を生む活動的な余白だ。


龍安寺の枯山水が示すように、岩の間の広大な白砂こそが、空間の本質を作る。「庭は境界ではなく、接続の装置である」フランスの「閉じる」でもドイツの「囲う」でもなく、日本の庭が独自に辿り着いた答えだ。


境界線を引く哲学:5つのパラダイム — フランス・ドイツ・米国・東南アジア・日本

越境する枝が問いかけているもの


庭で仕事をしていると、越境した枝の問題に出会う機会は少なくない。そのとき最初に考えるのは「切るか切らないか」ではなく「なぜこの枝は越えたのか」だ。


日照を追って伸びたのか。剪定が長年されておらず重力に引かれた結果なのか。


隣地側の土壌状態が良く根が向かっていったのか。枝の越境には、必ず木の側の理由がある。木は、法律を知らない。


枝は、境界線を意識しない。根は、測量図を読まない。


そしてそのお隣との関係性がある。


裁判やルールの問題である前に、二軒の家の間で何十年もかけて作られてきた、空気のような関係性の問題だ。


越境した枝をただ切るのではなく、そのお庭の文脈を読んでから手を入れる。それが三重県の現場で大切にしてきたことだ。


借景(Shakkei)と庭師の視点 — 庭は境界ではなく、接続の装置である

まず「対話」から——世界が辿り着いた共通の答え


興味深いのは、世界の庭トラブル解決の仕組みが、どの国でも最終的に「まず対話を」という方向に向かっていることだ。


ドイツの「Schiedsamt(仲裁局)」は近隣トラブルの訴訟前に行政調停を法的に義務化している。調停で合意した内容は確定判決と同等の法的拘束力を持ち、費用は50ユーロ程度。米国のコミュニティ調停では75〜80%が合意に至る。


日本の「受忍限度論」も、被害の程度・地域性・回避可能性・当事者の関係を総合的に判断する。


解決のメカニズム:法廷の前にまず対話を — ドイツ・米国・日本の調停制度


越境した枝を切るか切らないかではなく、越境した枝が問いかけているものに耳を傾けられるか。


庭は私的空間だ。しかし庭は、隣人と世界に開かれてもいる。その両義性の中に、庭の仕事の奥深さがある。そして、庭の仕事をしている人間にしか見えない景色が、そこにある。



 
 
bottom of page