ヘッジレイイング軍隊を止めた垣根 二千年変わらない生垣のつくり方
- 飯島 一郎

- 9 時間前
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紀元前57年の夏。いまのベルギー北部で、ローマ軍が止まりました。
前方にあるのは城壁ではありません。土手でもない。垣根です。
枝と枝が絡み合って、隙間がない。人も馬も通れない。剣を抜いても、振りかぶる場所がない。
このとき指揮していたのがユリウス・カエサルで、その垣根のことを自分で書き残しています。ガリア戦記の中に、その記述があります。
現地の人々は、若い木を切り倒して横へ寝かせ、その枝を互いに編み込んでいた。そこから新しい枝が伸びて、隙間を埋めていた。
生きた壁です。
軍隊を止める垣根が、二千年以上前にすでにあった。
そして、その作り方は、いまもほとんど変わっていません。

倒す。けれど、殺さない
英国とアイルランドに、ヘッジレイイングという技があります。
National Hedgelaying Society
一列に並んだ木の幹を、地面の近くで途中まで切る。折らずに、横へ倒す。それだけです。
倒した幹は根とつながったまま生き続け、株元から新しい芽を出します。数年でその芽が絡み合い、家畜が通れない壁になる。
切るのではなく、倒す。抜くのではなく、寝かせる。
倒した幹を、プリーチャーと呼びます。
この技の全部が、ここにある
幹の片側を削いで、細くしてから倒します。
このとき、樹皮と、そのすぐ内側の白い部分を、根とつながったまま残さなければいけません。

皮一枚でつないだまま倒す。切り離してしまえば、それはただの伐採になる。
切りすぎれば、枯れる。切らなければ、曲がらない。
どこで刃を止めるか。
数字はありません。木の太さ、樹種、その日の水の含み具合で変わります。刃を入れながら、手が抵抗の変わり目を拾う。
英国の職人は、これを知っていることが技のはじまりだと言います。
私たちが太い枝を下ろすとき、受け口をどこまで入れるか迷う、あの一瞬に近い。教わっても分からず、何本もやって、ようやく手が覚える種類のものです。
冬のあいだにしかやらない
作業は9月から3月のあいだだけです。木が眠っているあいだ。芽が動き出したら、翌年の秋まで待ちます。
生垣の前に立って、まずどちらへ倒すかを決めます。家畜のいる側か、道や畑の側か。ここで決めた向きを、端から端まで通す。途中で気が変わると、生垣が崩れます。
邪魔な小枝を落とします。全部は落としません。あとで幹のあいだに編み込むぶんを残しておく。
幹の片側に刃を入れます。生垣の進む方向に沿って、斜めに。伝統的にはビルフックという鉈のような道具と斧。いまは太い幹にチェンソーを使う人もいます。
削いだ幹を、両手で押し倒します。水平に近い角度まで。
倒したあとに残る切り株を整えます。ここから一番強い新芽が出るので、この処理が10年後を決めます。
倒した幹の列に沿って、等間隔に杭を打つ。仕上がった生垣の強さは、この杭が受け持ちます。
最後に、ハシバミの若枝を杭の頭に編みつける。編み終えたら、杭の頭を全部同じ高さ、同じ角度で切り揃えます。
この最後の編み込みは、飾りではありません。杭と幹を上から押さえて、全体を締める役目があります。
ただし英国には競技会があって、そこではこの編み目の美しさが採点されます。
強さと美しさが、同じ手つきから出てくる。
牛か、羊か、風か
面白いのは、地域ごとに形が違うことです。しかも違う理由が、はっきりしている。
イングランド中部のレスターシャーやノーサンプトンシャーは、牛の産地です。ここの様式は、別名を雄牛式といいます。
杭は道や畑の側に立てる。小枝は牛の側に出す。
牛が株元の新芽を食べてしまわないためです。生垣そのものを、牛のほうへ傾けて組みます。
そして縛りは、生垣の頂点より低い位置に入れる。理由は、牛が角でひねり取るからです。
一頭の獣の癖に合わせて、垣根の形が決まっている。
デヴォンへ行くと、景色が変わります。
あの地方の道が谷のように深く見えるのは、両側に高い土手があるからです。石を張った土手の上に、生垣が載っている。
デヴォンではヘッジレイイングをスティーピング、倒した幹をスティーパーと呼びます。二又の枝を土手の中心に打ち込んで、それで幹を押さえる。仕上げに、崩れた土を上へ積み直して土手の高さを保ちます。
なぜ土手なのか。
18世紀の囲い込みで、それぞれが自分の境界に溝を掘り、掘った土を自分の側に積み上げたからです。
掘って積む。その重労働の跡が、いまも道の形になって残っている。
ワイト島の様式は、ほとんど残っていません。
見た目は雑です。倒した幹を、向きを交互にしながら上へ重ねていくだけ。小枝もあまり落とさない。曲がったハシバミの杭で押さえて終わり。
けれど家畜を留める力は確かで、しかも速い。
廃れた理由は、競技会に向かないからでした。
美しく組めない技は、競う場を持てない。競う場がなければ、教える人がいなくなる。いまは荒れた生垣を立て直すときにだけ使われています。
そして現代、高速道路式という形が生まれました。
編み込みをしません。畑側に金属の柵を立てるので、家畜を留める力も要りません。杭さえ省くことがあり、小枝はほとんど落とし、幹を短く切って低く倒すだけ。
必要が減れば、形も減る。
九つあった様式は、そうやって一つずつ意味を失ってきました。

8年から15年
倒した幹は、いずれ枯れます。それは最初から分かっていることです。
けれどその頃には、株元から新しい幹が地面から伸びている。
かかる年数が、8年から15年。
一度の作業が、次の作業まで10年前後もつ。庭の手入れは毎年です。10年に一度でよい仕事というものが、私にはうまく想像できません。
その間ずっと、垣根は少しずつ形を変えながら立っている。
日本には、なぜないのか
英国には、この技を教える制度があります。全国ヘッジレイイング協会が、林業と農業の技能を認証する機関と組んで、資格を出している。ブロンズ、シルバー、ゴールドの三段階。最上位は5日間の講習と1日の試験です。
技が人から人へ渡る道筋が、制度として用意されている。
いっぽう日本の生垣は、刈るものです。倒す技を、私は聞いたことがありません。
なぜ日本で育たなかったのか。牛や羊を野に放つ農業ではなかったからか。木の種類が違うからか。土地の区切り方が違ったからか。
調べた範囲では、答えが見つかりませんでした。
ただ、日本の山には萌芽更新があります。
コナラやクヌギを根元から伐ると、株から新しい芽が何本も立ち上がる。それを繰り返して、何十年も同じ株を使い続ける。
倒した幹を残すか残さないかは違いますが、株元から次を出させるという一点は同じです。
海の向こうで垣根の技になり、日本では山の技になった。
そこから先は、まだ追えていません。
生垣が古くなって、下がすかすかになる。上ばかり伸びて、足元が透ける。
そういうとき、上から刈り込んでも戻らないことがあります。株元から新しい幹を出させないと、下は埋まらない。
英国で垣根を倒している人たちが知っていたのは、たぶんそれだけのことです。
剪定屋空では、三重県北勢地域を中心に、庭木の剪定から生垣の手入れ、樹木の伐採まで承っております。







